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アニメ聖地巡礼における
日常性の再強化と現実への拡大
动画圣地巡礼中的日常性的再强化与现实的扩展

牧 和 生

要旨

コンテンツツーリズム(聖地巡礼)という現象は、さまざまな作品において発生し、現在で は町おこしとしてコンテンツを利用する自治体も少なくない。しかし、コンテンツツーリズ ムにおいて重要であるのは、その地域の人々やコンテンツのファンがそれぞれの「意味」を構築できるかどうかである。本稿では、コンテンツツーリズムが社会における現実を再強化 し、コンテンツが現実へと拡大するダイナミズムの可能性をブルーナーの意味論の視点から論じた。
内容旅游(圣地巡礼)这一现象在各种作品中发生,如今不少地方政府也将内容作为振兴地方的手段加以利用。然而,在内容旅游中重要的是,该地区的居民和内容的粉丝是否能够各自构建起属于自己的“意义”。本文从布鲁纳的语义学视角,论述了内容旅游如何再强化社会中的现实,以及内容向现实扩展的动态可能性。
キーワード:アニメ聖地巡礼、日常性の強化、意味の構築、意味の縮減
关键词:动画圣地巡礼、日常性的强化、意义的构建、意义的缩减

1 はじめに  1 引言

もうすでに過去の出来事のように思われるかもしれないが、2016年の新語•流行語大賞の トップテンに「聖地巡礼」という言葉が入っていたことを覚えているであろうか。これは、新海誠監督の映画「君の名は。」の公開によって物語の舞台の 1 つとなった岐阜県に映画を観た ファンたちが足を運んだという現象が生じ、この行動を示す言葉である「聖地巡礼」が世間的 にも注目されたのである。しかし、この聖地巡礼が世間的な注目により大きな社会的変化を生 み出す可能性がある。本稿では、聖地巡礼の今日的意味、そして聖地巡礼の持続的な継続のた めの方法を示すことにしたい。
或许现在看来这已经是过去的事情了,但你是否还记得 2016 年新词·流行语大赏的前十名中曾出现过“圣地巡礼”这个词?这是因为新海诚导演的电影《你的名字。》上映后,电影中作为故事舞台之一的岐阜县吸引了许多观影粉丝前往,这一现象引发了社会对“圣地巡礼”这一行为的关注。然而,这种圣地巡礼因社会关注而可能带来重大的社会变革。本文旨在阐述圣地巡礼的当代意义,并提出实现圣地巡礼持续发展的方法。

2 アニメ聖地巡礼研究の展開  2 动画圣地巡礼研究的发展

アニメコンテンツにおける聖地巡礼の研究は大きく 2 つの潮流がある。まずは、分析対象と なるコンテンツをアニメーション(以下、アニメ)に限定した研究である(山村,2011;岡本, 2013) ( 1 ) ( 1 ) ^((1)){ }^{(1)} 。山村は岡本が北海道大学大学院国際広報メディア・観光学院、観光創造専攻の大学院生時代の指導教官である。 2 人には共通の問題意識があり、彼らは積極的にアニメ聖地巡礼 の研究を進めていくのである。岡本によると2008年頃から聖地巡礼の研究を 2 人で開始したそ うである。この時期の聖地巡礼は埼玉、兵庫、富山、静岡などで見られたが、詳細は牧(2011, 2015,2019)などにまとめてあるのでそちらを参考にされたい。その後山村と岡本は精力的に研究を進め、その結果上述の大学院には多数の院生が研究への門を叩き、その志を持った院生の
关于动画内容中的圣地巡礼研究,主要存在两大潮流。首先是将分析对象限定为动画(以下简称“动画”)的研究(山村,2011;冈本,2013) ( 1 ) ( 1 ) ^((1)){ }^{(1)} 。山村是冈本在北海道大学大学院国际传播媒体·旅游学院旅游创造专业读研时的指导教师。两人有着共同的问题意识,并积极推进动画圣地巡礼的研究。根据冈本的说法,他们两人从 2008 年左右开始进行圣地巡礼的研究。那个时期的圣地巡礼现象主要出现在埼玉、兵库、富山、静冈等地,具体内容可参考牧(2011,2015,2019)等人的总结。随后,山村和冈本积极开展研究,结果是上述大学院吸引了大量研究生投身于该领域,许多怀有志向的研究生
多くがコンテンツツーリズム(現在ではアニメツーリズムとも呼ばれている)を研究テーマにしてい るのである。
将内容旅游(现今也称为动画旅游)作为研究主题。
さて、山村と岡本がなぜアニメを研究対象に限定したのか疑問に思われるかもしれない。し かし、その理由は明確である。すでに、山村と岡本がコンテンツツーリズムの研究をスタート したのは2008年頃であることはすでに述べたとおりである。岡本による初期の研究では、当時 の聖地巡礼の代表例として「涼宮ハルヒの憂鬱」(2006)と「らきえすた」(2007)を挙げている (岡本,2009)。この 2 つの作品はクオリテイが高く、現在でも根強いファンのいる作品である。 これら 2 つのアニメの最大の特徴は、聖地巡礼という現象が見られ、さらにその聖地巡礼にお けるファンの行動がほぼ現在と同じであるということである。これらのアニメは放送当時には深夜帯に放送されており、世間的な認知度は低かったと思われる。それは、深夜アニメ特有の イメージの問題である。このイメージの問題について疑問を投げかけている者もいる。榎本は、深夜アニメを見るのは大人だけではないと指摘する(榎本,2009)。牧は、深夜アニメとして放送されている作品と全日帯(いわゆるゴールデンタイム)に放送されている作品とでは、一部の例外的作品を除いて放送内容に年齢を区別するような顕著な差は見られないことを指摘した(牧, 2013)。深夜アニメは一般的に製作コストが低いため、番組の枠が安価な深夜帯でしか放送枠 を獲得できないという問題もある(野村総合研究所,2005)。また、榎本は近年の深夜アニメにお ける質の向上から、大人の視聴にも十分耐えられるものが多くなったという(榎本,2009)。
那么,山村和冈本为何将研究对象限定在动画上,可能会让人感到疑问。然而,理由是明确的。正如前文所述,山村和冈本开始研究内容旅游大约是在 2008 年左右。冈本的早期研究中,将当时圣地巡礼的代表作列为《凉宫春日的忧郁》(2006 年)和《幸运星》(2007 年)(冈本,2009)。这两部作品质量很高,至今仍拥有坚实的粉丝群。这两部动画最大的特点是,出现了圣地巡礼这一现象,而且粉丝在圣地巡礼中的行为几乎与现在相同。这些动画在播出时均为深夜档,社会认知度较低。这是深夜动画特有的形象问题。对此形象问题,也有人提出质疑。榎本指出,观看深夜动画的不仅仅是成年人(榎本,2009)。牧指出,作为深夜动画播出的作品与在全天时段(即所谓黄金时段)播出的作品,除个别例外作品外,播出内容并无明显的年龄区分差异(牧,2013)。深夜动画通常制作成本较低,因此只能获得价格较低的深夜档播出时段(野村综合研究所,2005)。此外,榎本认为,近年来深夜动画质量提升,许多作品足以满足成年观众的观看需求(榎本,2009)。
しかし、深夜アニメにおける世間的なイメージを改善するには時間が必要である。そこで、山村と岡本は深夜アニメにもかかわらずファンがアニメの舞台に足を運んでいるという旅行行動(聖地巡礼)は、アニメファンのイメージ改善と地域活性化に一役買うのではないかと考えた のである。彼らの問題意識は次のようにまとめられる。まずは、聖地巡礼行動をとる旅行者の行動のパターン化、そして分析である。次に、地域側の取り組みについての分析である。最後 に、深夜アニメをきっかけとする地域活性化の可能性を世に問うことである。これは、アニメ の文化的な価値が世間的に低く見られているということであろう。むしろ、アニメのイメージ が悪ければ悪いほど、聖地巡礼における社会的な意味が重要なものとして浮き彫りとなる。
然而,要改善深夜动画在社会上的形象需要时间。因此,山村和冈本认为,尽管是深夜动画,粉丝仍然前往动画舞台地进行旅行行为(圣地巡礼),这或许有助于改善动画粉丝的形象并促进地区活性化。他们的问题意识可总结如下:首先,对进行圣地巡礼的旅行者行为进行模式化和分析;其次,分析地区方面的相关举措;最后,向社会探讨以深夜动画为契机的地区活性化可能性。这反映出动画的文化价值在社会上被低估。恰恰如此,动画形象越差,圣地巡礼所具有的社会意义就越显得重要。
一方で、増淵は山村、岡本らの研究テーマとは異なる分野もコンテンツツーリズムとして扱っている(増淵,2010,2011,2014)。山村、岡本らはアニメを主な研究対象としていたが、増淵はアニメのみならず、映画、音楽(歌詞やプロモーションビデオを含む)、小説、文学作品など もコンテンツツーリズム研究の分析対象としている。両者の研究対象の違いは、「コンテン ツ」の範囲をどこまで許容するかというところから生じている。増淵の研究はどちらかという と、すでに文化的な価値が認められているコンテンツを研究対象としつつも、一部サブカル チャーのコンテンツも研究対象に含まれていると捉えることができる。例えば、有名なアー ティストの楽曲の歌詞に出てくる街を訪れ、その歌詞の内容を噛みしめながら散策するという行為自体はそこまで理解できないものではない。同じく、映画の舞台となった地域に足を運ぶ というのもファンの心理を理解しやすいといえよう。増淵の研究のアプローチは、ハイカル
一方面,增淵将与山村、冈本等人的研究主题不同的领域也作为内容旅游来处理(增淵,2010,2011,2014)。山村、冈本等人主要以动画为研究对象,而增淵不仅研究动画,还将电影、音乐(包括歌词和宣传视频)、小说、文学作品等也作为内容旅游研究的分析对象。两者研究对象的不同,源于对“内容”范围的容许程度不同。增淵的研究可以看作是以已经被认可具有文化价值的内容为研究对象,同时也包含部分亚文化内容。例如,访问出现在著名艺术家歌曲歌词中的街道,一边细细品味歌词内容一边散步,这种行为本身并不难理解。同样,前往电影拍摄地的地区,也较容易理解粉丝的心理。增淵的研究方法可以说是不区分高文化、大众文化和亚文化,通过研究内容旅游来发现其规律性。
チャーや大衆文化、サブカルチャーを区別することなく、コンテンツツーリズムを研究するこ とでその法則性を見出そうとしているといえる。一方で、山村らの研究は対象のコンテンツを限定しているが、その分深く議論を行えるという利点もある。特に岡本らによるコンテンツ ツーリズム研究を検討すれば、コンテンツツーリズム研究の広がりを確認できる(岡本編, 2015) ( 2 ) ( 2 ) ^((2)){ }^{(2)}
另一方面,山村等人的研究虽然限定了研究内容,但因此能够进行更深入的讨论。特别是通过考察冈本等人的内容旅游研究,可以确认内容旅游研究的扩展(冈本编,2015) ( 2 ) ( 2 ) ^((2)){ }^{(2)}
さて、コンテンツツーリズムの研究の現状については、増淵によるコンテンツを広く捉えた ケーススタディやフィールドワークに基づく研究(増淵,2010,2011,2014)、山村らの社会心理学的側面からコンテンツツーリズムに切り込む研究に峻別できる(山村,2011;岡本編,2015)。
关于内容旅游研究的现状,可以区分为增淵基于广泛内容的案例研究和实地调查研究(增淵,2010,2011,2014),以及山村等人从社会心理学角度切入内容旅游的研究(山村,2011;冈本编,2015)。

本稿では、主に山村、岡本らの研究を参考にしながら、議論を進めていくことにする。それは、主に本稿でもアニメ作品を中心に議論するため、また研究対象を限定することによるコンテン ツッーリズムの本質的な意味に迫るためである ( 3 ) ( 3 ) ^((3)){ }^{(3)}
本文主要参考山村、冈本等人的研究进行讨论。原因在于本文也主要围绕动画作品展开讨论,同时通过限定研究对象,力求探讨内容旅游的本质意义 ( 3 ) ( 3 ) ^((3)){ }^{(3)}
近年、アニメコンテンツを起点とした聖地巡礼は多くの地域で見られる。そのため地域に よってはアニメを用いた町おこしを期待する声も少なくない ( 4 ) ( 4 ) ^((4)){ }^{(4)} 。そこで、井手口は聖地巡礼を仕掛ける企業側について詳細に検討した(井手口,2009)。井手口によると、まず観光資源に長 けた地域では観光客が多く足を運ぶため、アニメの舞台として売り出さなくても良い。そのた め、有名な観光地は聖地になりにくいという。観光資源を保有していない地域では、次のよう な町おこし案が考えられる。まずは、地域の特産物をアピールして観光客を誘致する方法であ る。一時期、各地で行われていたご当地グルメによる町おこしがこれにあたる。次に、「ゆる キャラ」による町おこしもあるが、この方法は短命に終わる可能性があると井手口は指摘する。 つまり、井手口の議論をまとめるとアニメを用いた町おこしへと向かうプロセスは以下のよう になる。
近年来,以动画内容为起点的圣地巡礼在许多地区都能见到。因此,在一些地区,也不乏期待通过动画来振兴地方的声音 ( 4 ) ( 4 ) ^((4)){ }^{(4)} 。对此,井手口对发起圣地巡礼的企业方面进行了详细的考察(井手口,2009)。据井手口所述,首先,在拥有丰富旅游资源的地区,由于游客众多,即使不将其作为动画舞台进行宣传也无妨。因此,有名的旅游地不易成为圣地。对于没有旅游资源的地区,可以考虑以下几种振兴地方的方案。首先,是通过宣传当地特产来吸引游客。这与曾在各地开展的地方美食振兴活动相似。其次,也有通过“吉祥物”来振兴地方的方式,但井手口指出这种方法可能寿命较短。换言之,综合井手口的论述,走向以动画振兴地方的过程如下。
①観光資源を有している地域(たとえば有名な観光地など)は、町おこしをする必要もなく聖地 にもなりにくい。ただし、物語によっては観光地が聖地にもなりうる。
①拥有旅游资源的地区(例如著名旅游地等)无需进行地方振兴,也不易成为圣地。但根据故事内容,旅游地也有可能成为圣地。

(2)観光資源を有していない場合、地域の他の特長を生かした町おこしが企画される。
(2)若不具备旅游资源,则会策划利用地区其他特色的地方振兴方案。

(3)地域の特長が無い場合は、アニメを用いた町おこしを実施する可能性もあるが、アニメ作品の舞台に選ばれなかったときには、ゆるキャラを用いた町おこしを企画する可能性があ る。
(3)若地区无特色,则可能实施以动画为手段的地方振兴,但若未被选为动画作品的舞台,则可能策划利用吉祥物进行地方振兴。
そもそもなぜ、アニメの聖地が増えているのだろうか。牧は、アニメの制作現場における厳 しい現状が影響していると指摘した(牧,2013,2014) ( 5 ) ( 5 ) ^((5)){ }^{(5)} 。近年アニメ作品は、 3 か月~6か月 の間に 100 本以上が新しく制作される。アニメ制作会社の数も限られているため、 1 つのアニ メ制作会社が複数の作品の制作を請け負うということも多い。このような状況では 1 つの作品 の制作にかけられる時間は少なくなり、特に問題になるのは物語の舞台設定である。かつて多 く制作された SF 作品であれば、科学技術を駆使した壮大な世界観を時間をかけて構築してい
首先,为什么动画圣地会越来越多呢?牧指出,这与动画制作现场的严峻现状有关(牧,2013,2014) ( 5 ) ( 5 ) ^((5)){ }^{(5)} 。近年来,动画作品在 3 个月到 6 个月的时间内,新制作的作品超过 100 部。由于动画制作公司的数量有限,一家动画制作公司同时承担多个作品的制作也很常见。在这种情况下,单个作品的制作时间变得较少,特别成问题的是故事的舞台设定。过去大量制作的科幻作品,可能会花费时间利用科学技术构建宏大的世界观,
たであろうが、現在アニメの主流である「日常系」アニメであれば、舞台設定などは現実の場所を取り込むことが可能である。この方法を用いることで、製作(ここではあえて「制作」とは表記しない)コストや時間を短縮できるのである。日常を反映したアニメが多く製作される背景に はこのような問題があるのである。さらに、近年では地域のフィルムコミッションがアニメの制作の初期の段階から企画に協力し、アニメ作品に関する取材やロケを製作者側が実施しやす くするためにサポートするという例も少なくない。このメリットは、ロケなどに関わる手続き をフィルムコミッションが代行するというだけでなく、アニメの設定に適する場所(ロケ地)を地域側が提案できるという点もある ( 6 ) ( 6 ) ^((6)){ }^{(6)} 。アニメでの聖地巡礼の場合、日常の何気ない風景が物語で描かれることも多いため、地域側の情報が非常に有益だからである。
但现今主流的“日常系”动画,则可以直接采用现实中的场所作为舞台设定。通过这种方法,可以缩短制作(这里特意不使用“制作”一词)成本和时间。大量反映日常生活的动画作品产生的背景,正是由于这种问题。此外,近年来,地方的影视委员会从动画制作的初期阶段就开始协助企划,支持制作方进行与动画作品相关的采访和实地拍摄。这种支持的优点不仅在于影视委员会代办拍摄等手续,还在于地方方面能够提出适合动画设定的场所(拍摄地) ( 6 ) ( 6 ) ^((6)){ }^{(6)} 。在动画圣地巡礼中,由于日常生活中不起眼的风景常被描绘为故事场景,地方提供的信息非常有价值。
アニメにおける聖地巡礼では、主導者は 3 つのパターンに分けられる。山村における分類で は、(1)地域側のみ、(2)地域•製作者側の両方、(3)製作者側のみという分類を行っている(山村, 2011)。前述のフイルムコミッションが制作段階で関わるのは、(2)のパターンということになる。 ここで、さまざまな問題が生じる。まずは、前述の聖地巡礼が企画される流れを見てほしい。観光資源を有していない地域では、アニメを用いた町おこしが実施可能な例と実施不可能な例 がある。地域側のさまざまな苦労も実らず、ロケ地として採用されない場合もあるからである。地域によっては複数のアニメの聖地になっているところもあるが、アニメの舞台になりにくい地域も存在している(牧,2019)。アニメの聖地化にも地域間の格差が見られるのである。
在动画圣地巡礼中,主导者可分为三种模式。根据山村的分类,有(1)仅地方方面,(2)地方与制作方双方,(3)仅制作方三种类型(山村,2011)。前述影视委员会参与制作阶段的情况属于(2)模式。在这里,会产生各种问题。首先,请看前述圣地巡礼被策划的流程。在没有旅游资源的地区,利用动画进行地方振兴的例子有成功的,也有失败的。因为地方的各种努力未必能得到回报,可能不会被选为拍摄地。有些地区成为多个动画的圣地,但也存在不易成为动画舞台的地区(牧,2019)。动画圣地化也存在地区间的差距。
また、現在では上述の②の方法でアニメが制作され、多くの地域が聖地化している。山村、岡本などでは、聖地巡礼の仕組みができてしまえば最終的には①の地域側が自由にコンテンツ を活用できるようになることが理想であると主張している(山村,2011;岡本,2013)。アニメを用いたイベントなどを行うためには、製作者側の協力が不可欠である。現在では、映画製作と同様にアニメにおいても製作委員会方式が採用されることが大半である。製作委員会方式とは、筆者もすでに検討しているように、アニメ作品の効率的な製作とリスク分散のための方法であ る。
此外,目前动画多采用上述②的方法制作,许多地区因此成为了圣地。山村、冈本等人主张,一旦建立了圣地巡礼的机制,最终理想状态是①中地区方面能够自由利用这些内容(山村,2011;冈本,2013)。为了举办利用动画的活动,制作方的合作是不可或缺的。目前,动画制作大多采用与电影制作类似的制作委员会方式。正如笔者已探讨的那样,制作委员会方式是一种为了动画作品的高效制作和风险分散而采用的方法。
かつてアニメを制作する際には、テレビ局とアニメ制作会社が多くの責任を負っていた。ア ニメ制作会社は中小零細企業が多く、 1 本のアニメの制作にかかる負担は大きかった。この場合、その制作したアニメがヒットするとアニメ制作会社が受け取るリターンも大きいが、アニ メがヒットしない場合はアニメ制作会社にとって大問題となる。また、アニメ制作上において重大な問題が生じた場合では、制作会社そのものが倒産したケースもある。このようなリスク を回避するために、製作委員会方式ではアニメに関する権利関係をあらかじめ決めておくので ある。アニメに関わるさまざまな企業が製作委員会に加わり、アニメの製作費を出資するので ある。そうすることで、1つの企業のアニメに関するリスクが小さくなるが、同時にアニメの成功に伴うリターンも少なくなる。しかし、製作委員会に参加する企業は同時に複数のアニメ に出資できるため、アニメの制作数が多くなったのである(牧,2013,2014)。これは極めて合理的な「アニメ製作」の形といえる。その合理的な「製作」の仕組みとして、聖地という現実
过去在制作动画时,电视台和动画制作公司承担了大量责任。动画制作公司多为中小微型企业,制作一部动画所承担的负担很大。在这种情况下,如果制作的动画大受欢迎,动画制作公司获得的回报也很丰厚,但如果动画不受欢迎,则对动画制作公司来说是大问题。此外,在动画制作过程中出现重大问题时,也有制作公司本身破产的案例。为了规避这种风险,制作委员会方式事先确定了与动画相关的权利关系。涉及动画的各种企业加入制作委员会,共同出资制作动画。通过这种方式,单个企业在动画上的风险变小,但同时动画成功带来的回报也减少。然而,参与制作委员会的企业可以同时投资多部动画,因此动画的制作数量增加了(牧,2013,2014)。这可以说是极为合理的“动画制作”形式。作为这种合理“制作”机制的一部分,现实中的圣地...
の風景を取り入れたアニメが量産されているというのも納得できよう。同時に、製作委員会は権利関係の問題をクリアすることが困難になることもありうる。アニメを用いたイベントの実施や地域限定のオリジナルグッズを製作しようとしても、権利者の許可が下りないこともある からである。山村の指摘するアニメを用いた町おこしは最終的に地域主導になるベきであると いう主張は、地域でのイベントなどの企画の初期段階で製作委員会と綿密な打ち合わせを行い、 アニメの放送後は地域側で自由にイベントなどを企画、運営できるようにしておくというもの である(山村,2011)。さまざまな権利を保有する製作委員会との交渉に時間がかかると、イベ ントなどをスムーズに実施できないからである。
采用乡村风景的动画大量生产也是可以理解的。同时,制作委员会在解决版权问题时也可能面临困难。即使想举办以动画为主题的活动或制作地区限定的原创商品,也可能得不到权利人的许可。山村指出,利用动画进行地方振兴最终应由地方主导的主张,是指在地方活动等企划的初期阶段与制作委员会进行密切协商,动画播出后由地方自由策划和运营活动等(山村,2011)。因为与拥有各种权利的制作委员会谈判耗时,会导致活动等无法顺利进行。
一方、岡本の聖地巡礼者の性格別の分類をみれば、聖地巡礼を行う旅行者の行動もある程度 パターン化されていることが分かる。岡本らによると、アニメなどにおける聖地巡礼者は次の ような行動をとっている。
另一方面,观察冈本对圣地巡礼者按性格分类的研究,可以发现进行圣地巡礼的旅行者的行为在一定程度上呈现出模式化。根据冈本等人的研究,动画等中的圣地巡礼者会采取以下行为。
①聖地巡礼できそうなアニメ(聖地が存在しているアニメ)を視聴し、いち早く聖地巡礼を行い、聖地の場所を特定することを目的としている人。岡本はこのタイプを先駆的旅行者と呼ん でいる。
①观看可能进行圣地巡礼的动画(存在圣地的动画),并以尽早进行圣地巡礼、确定圣地位置为目的的人。冈本称这种类型为先驱旅行者。

②聖地を特定するというスピードは重要ではなく、アニメと同じ構図で写真などを撮る人。
②确定圣地的速度并不重要,而是拍摄与动画相同构图的照片等的人。

③聖地巡礼のみならず、地域住民との交流も行う人。
③不仅进行圣地巡礼,还与当地居民交流的人。

④聖地巡礼は行わず、インターネット上でアップロードされた写真などを見るだけの人。
④不进行圣地巡礼,仅观看在互联网上上传的照片等的人。
先行研究では以上のような分類がなされている(岡本,2012;岡本編,2015)。これだけでも、聖地巡礼を行う人々にはさまざまな目的があることが分かる。地域側あるいは製作者側はこれ らの目的を持つ人々を迎え入れ、同時に満足感も与えなくてはならない。そのために地域ごと に工夫を凝らしイベントなどを企画しているのであるが、地域•製作者側とアニメファンとの長期的な関係が構築できている例は稀である。次節では、本節で概観した問題点についてさら に検討を加えたい。
先行研究中已有如上分类(冈本,2012;冈本编,2015)。仅此便可看出,进行圣地巡礼的人们怀有各种不同的目的。地区方面或制作方必须接纳这些怀有各类目的的人们,同时给予他们满足感。为此,各地区绞尽脑汁策划活动等,但能够构建地区·制作方与动画粉丝之间长期关系的例子却很少。下一节将对本节概述的问题点进行进一步探讨。

3 聖地巡礼のあるべき姿の模索 —日常という理想—
3 探索圣地巡礼的理想形态 — 以日常为理想 —

本節では、前節でまとめた聖地巡礼における問題点をさらに掘り下げ、聖地巡礼のあるべき姿を提示したい。具体的に見えてきた聖地巡礼における問題点は、以下のとおりである。
本节将进一步挖掘上一节总结的圣地巡礼问题点,提出圣地巡礼应有的形态。具体显现的圣地巡礼问题点如下。

(1)アニメの製作方法における聖地の量産化。  (1)动画制作方式中圣地的量产化。
(2)聖地化することによる地域側(製作者側を含む)のファンへの対応。
(2)通过成为圣地,地区方面(包括制作方)对粉丝的应对。

(3)継続的な聖地巡礼への取り組み。  (3)对持续的圣地巡礼的努力。
とまとめることができる。  可以总结为以上几点。
①はすでに前節において議論を行ったので、本節では少し補足をした後、②族よび③につい て考察したい。①においては、アニメの本数が増えることによって聖地の数も増えることにな る。そのため、アニメの舞台としてマイナーな地域が選ばれる可能性も高くなった。重要とな るのは、地域側の聖地を売り込む方法や制作を支援する体制づくりといえる。
①部分已在前节中讨论过,本节将在稍作补充后,考察②和③。①中提到,随着动画数量的增加,圣地的数量也会增加。因此,作为动画舞台的较小众地区被选中的可能性也提高了。重要的是,地区方面如何推销圣地以及建立支持制作的体制。
②は聖地巡礼において、特に重要な問題である。実際に、多くのコンテンツツーリズム研究 で盛んに議論されている問題だからである(岡本,2013;岡本編, 2015 ;山村, 2011 ;増淵,2010)。具体的には、アニメに関するイベントやグッズを製作したとしても聖地巡礼に訪れるファンは一過性であり、長期的な関係性を築くまでには至らないという問題である。これは前述の(1)の問題にも関連する問題であるが、量産される聖地に問題の所在がある。例えば、ある地域に複数のアニメの聖地があるとしよう。有名観光地のような場所であれば、アニメをきっかけにし てその聖地に訪れた旅行者はたいして重要ではないであろう。しかし、観光資源を持たない地域であれば状況が異なる。地域側としても旅行者を歓迎したいはずである。町の土産店にはア ニメの地域限定グッズが置かれ、聖地巡礼に訪れたアニメファンはそのグッズを購入し、聖地 でそれぞれの時間を過ごす。このような旅行行動を聖地巡礼者が行う場合、地域側が旅行者に アプローチできるのは地域限定グッズを購入するときなどの限られたときだけである。した がって、ファンと地域の住民が触れ合うためにはイベントなどを実施しなくてはならない。
②在圣地巡礼中是特别重要的问题。实际上,这也是许多内容旅游研究中被热烈讨论的问题(冈本,2013;冈本编,2015;山村,2011;增淵,2010)。具体来说,即使制作了与动画相关的活动或周边商品,前来圣地巡礼的粉丝也只是短暂的,难以建立长期的关系。这与前述的(1)问题相关,问题的根源在于大量生产的圣地。例如,假设某个地区有多个动画圣地。如果是像著名旅游景点那样的地方,因动画而访问该圣地的游客可能并不重要。然而,在没有旅游资源的地区,情况则不同。地区方面也希望欢迎游客。镇上的土特产店会摆放动画的地区限定周边,前来圣地巡礼的动画粉丝会购买这些周边,在圣地度过各自的时光。当圣地巡礼者进行这样的旅行行为时,地区方面能够接触游客的机会仅限于购买地区限定周边等有限的时刻。因此,为了让粉丝与地区居民交流,必须举办活动等。
さらにいえば、そのイベントは地域住民とファンとが双方向の関係性でなくてはならない。聖地巡礼では互いに多様な個を受け入れる重要性が指摘されているからである。特に岡本は聖地巡礼の本質的意義について、「他者の異なる価値観を理解すること」をわれわれが認識し、他者理解を促進させることであると主張する(岡本,2013)。これは、われわれは誰しも強いこ だわりを 1 つは持っているが、聖地巡礼者においてはそのこだわりの対象がコンテンツであり、 たまたまそれがアニメであったというだけのことであるという意味である。榎本が主張してい るアニメにおける社会の偏見が無くなるのであれば、聖地巡礼においてさまざまなこだわり (価値観)を持つ人々と地域の人々とが出会うことで、確かに他者理解の促進になりうる(榎本, 2009)。岡本はこのような現象を「出会うことのない他者が偶然的に出会う」と表現しているが、 この他者理解の形態を現実で行うには困難が伴う(岡本,2013)。牧と中込は、他者と自己との わずかな差異が、他者理解の足枷になることを脳科学的に実証し、そのための対策について論 じた。その対策とは、他者と自己との差異があるのはむしろ当然のこととして、常に意識する というものである(牧•中込,2012)。筆者はこの「意識」こそ、聖地巡礼において重要な役割 を担うと考えている。しかし、現実ではこの「意識」の欠如による望ましくない現象が散見さ れるのである。
更进一步说,这些活动必须是地区居民与粉丝之间的双向关系。因为在圣地巡礼中,互相接受多样个体的重要性被指出。特别是冈本主张圣地巡礼的本质意义在于,我们认识到“理解他者不同的价值观”,并通过此促进他者理解(冈本,2013)。这意味着,我们每个人都有强烈的执着,而圣地巡礼者的执着对象是内容,恰好是动画而已。如果能消除榎本所主张的动画中社会偏见,那么在圣地巡礼中,持有各种执着(价值观)的人们与地区居民相遇,确实能够促进他者理解(榎本,2009)。冈本将这种现象称为“本不会相遇的他者偶然相遇”,但在现实中实现这种他者理解的形式是困难的(冈本,2013)。牧与中込从脑科学角度实证了他者与自我之间的微小差异会成为他者理解的障碍,并讨论了相应的对策。该对策是,将他者与自我存在差异视为理所当然,并始终保持意识(牧·中込,2012)。笔者认为,这种“意识”正是在圣地巡礼中承担重要角色的因素。然而,现实中因缺乏这种“意识”而出现的不良现象屡见不鲜。
意識の欠如とはどのような状況であるのか。それは、ある地域が聖地化することをビジネス チャンスであると捉え、聖地巡礼における他者理解の側面を無視することによって生じる。な ぜ、他者理解の側面を無視してしまうのか。これはアカロフらが指摘しているアイデンティ
意识缺失是怎样的一种状况呢?那是指某个地区将成为圣地视为商业机会,从而忽视了圣地巡礼中对他者理解的方面而产生的。为什么会忽视对他者理解的方面呢?这是阿克洛夫等人所指出的身份认同问题。
ティの問題が大きくかかわってくる。アカロフらは効用関数の変数にアイデンティティという要因を加えている。このアイデンティティについても細かく議論されているが、主に自己の価値観や社会的規範を遵守することで得られる効用と他者の行動が自己の効用に影響を与えるも のと 2 つに分けることができる(Akerlof and Kranton,2000)。ここで重要なのは後者である。ア カロフたちは他者の暴力的行動や信条の違いなどが自己アイデンティティに影響を与えると考 えていた。アニメ聖地巡礼においても、この信条(価値観)の違いは自己の行動に大きく影響を与えうる。すでに本稿で指摘したアニメにおける世間からの評価の問題である。
身份认同的问题起着重要作用。Akerlof 等人在效用函数的变量中加入了身份认同这一因素。关于身份认同也有详细的讨论,主要可以分为两类:一是通过遵守自身的价值观和社会规范所获得的效用,二是他人的行为对自身效用的影响(Akerlof and Kranton,2000)。这里重要的是后者。Akerlof 等人认为,其他人的暴力行为或信念差异等会影响自身的身份认同。在动画圣地巡礼中,这种信念(价值观)的差异也可能对自身行为产生重大影响。这正是本文已经指出的动画在社会评价中的问题。
アニメにおける偏見やマイナスのイメージを持っている人が、アニメを好む人々を心から歓迎することは極めて困難である。また、アニメに全く関心がない人も同様に聖地巡礼者を歓迎 することは難しいであろう。このような状況において、地域の住民が取りうる行動は 3 つであ る。 1 つ目は、アニメにおける自己の偏見を超え、他者理解をしようと務めることである。こ れは岡本が指摘するアニメ聖地巡礼の理想像である。 2 つ目は、アニメ聖地巡礼に関わろうと せず現象そのものを無視することである。最後は、聖地巡礼によって他者理解をしようとはし ないが、聖地巡礼には関わろうとすることである。本稿では、この問題について言及をしたい。
对动画抱有偏见或负面印象的人,很难真心欢迎喜欢动画的人。同样,对动画完全不感兴趣的人也难以欢迎圣地巡礼者。在这种情况下,地区居民可以采取三种行动。第一种是超越自己对动画的偏见,努力理解他人。这是冈本所指出的动画圣地巡礼的理想形象。第二种是不参与动画圣地巡礼,忽视这一现象本身。最后一种是不试图通过圣地巡礼来理解他人,但仍然愿意参与圣地巡礼。本文将对这一问题进行探讨。
聖地巡礼において、他者の異なる価値観を理解しようとせず、それでも聖地巡礼に参画する というのはどのような状況であろうか。それは、「量産される聖地、商業主義化する聖地巡礼」という言葉で説明できる。つまり、機会主義的に聖地巡礼を企画し、一時的な利潤獲得の手段とするものである。金武らは、カリスマ的人気を誇る女性アーティストを例にその CDの売れ方を台風に例えて、瞬間最大風速セールスと呼んでいた(金武•阪本,2005)。これは、ロン グヒットするような CD は発売当時は無名であっても徐々に人気に火が付き最終的には大ヒッ トするが、カリスマ型のアーティストでは熱狂的な固定ファンが発売と同時に CD を購入する ためロングヒットはせず、CDの発売後一週間が売上のピークになってしまうからである。こ れは、アニメ聖地巡礼にも当てはまる事象である。つまり、一時的なブームとして地域や製作委員会が聖地巡礼をデザインし、ファンが当該の地域でお金を使ってくれるためのアイディア を練るのである。聖地巡礼の企画者側は、前述のようなアニメやマンガに関するグッズを販売 したり、イベントを開催するなどしてファンが地域に訪れるきっかけを作ろうとする。野村総合研究所は、オタクにおける強い心理的な特徴として創造性•収集欲•共感欲求をアンケート調査から明らかにしている(野村総合研究所,2005)。さらに、河合らはアニメやゲームなどのコ ンテンツの需要は、あるとき突然消失すると指摘する(河合編,2006)。これは、大量にアニメ作品などが市場に投入され一時的に消費される。そして次のアニメ作品やコンテンツが市場に投入されると、ファンの興味や関心は次のコンテンツに移るからである。このアニメファンや オタクの収集欲と市場の特性という点を利用すれば、そこからデザインされるコンテンツツー リズムの形は、上述のとおりの一過性のものが適していると思われる。
在圣地巡礼中,不试图理解他人不同的价值观,却仍然参与圣地巡礼,这种情况是怎样的呢?这可以用“量产的圣地、商业化的圣地巡礼”这句话来说明。也就是说,机会主义地策划圣地巡礼,将其作为暂时获取利润的手段。金武等人以拥有超高人气的女性艺人为例,将其 CD 的销售情况比作台风,称之为瞬间最大风速销售(金武·阪本,2005)。这是因为,长期畅销的 CD 即使在发行时无名,也会逐渐走红,最终成为大热作品;而对于具有偶像型的艺人来说,狂热的固定粉丝会在 CD 发行的同时购买,因此不会有长期畅销,CD 发行后一周内的销量达到峰值。这一现象同样适用于动画圣地巡礼。也就是说,作为一时的热潮,地区或制作委员会设计圣地巡礼,策划让粉丝在该地区消费的点子。圣地巡礼的策划者会如前所述,销售与动画或漫画相关的周边商品,举办活动,制造粉丝前往该地区的契机。野村综合研究所通过问卷调查揭示了御宅族的强烈心理特征——创造性、收集欲、共鸣欲望(野村综合研究所,2005)。此外,河合等人指出,动画、游戏等内容的需求会在某一时刻突然消失(河合编,2006)。这是因为大量动画作品等被投入市场,暂时被消费,随后新的动画作品或内容被推向市场,粉丝的兴趣和关注转移到新的内容上。利用动画粉丝和御宅族的收集欲以及市场的特性,从中设计出的内容旅游形式,如上所述,适合采用一过性的形式。
しかし、岡本たちの研究を見ればこのようなコンテンツツーリズムのあり方は相応しくない ということが分かる。彼らは一貫して聖地での経済波及効果はあるに越したことはないが、そ
然而,从冈本等人的研究来看,这样的内容旅游方式并不合适。他们一贯认为,圣地的经济波及效应虽好,但...
れ自体を目的として主張をしていない。つまり、アニメ作品などのファンがその聖地で消費を するということだけがコンテンツツーリズムの本質ではないというのである(岡本,2013;岡本編,2015)。それでは、コンテンツツーリズムのあるベき姿とは何か。それは、虚構と現実との対比を通じて、ファンと地域が双方向性での関係を構築し、多様な価値観を受け入れ、社会そ のものを変容させていくということではないであろうか。岡本のコンテンツツーリズムにおけ る代表的理論は「 n 次創作観光論」であるが、この理論はまさに現実と虚構という 2 つの世界 を「情報」がつなぎ、さらには現実そのものを変えていく可能性があるものである(岡本, 2013)。
本身并非以此为目的进行主张。也就是说,动漫作品等的粉丝仅仅在该圣地进行消费,并不是内容旅游的本质(冈本,2013;冈本编,2015)。那么,内容旅游应有的样子是什么呢?那就是通过虚构与现实的对比,粉丝与地域构建双向关系,接受多样的价值观,并使社会本身发生变革。冈本在内容旅游中的代表性理论是“n 次创作旅游论”,该理论正是通过“信息”连接现实与虚构这两个世界,甚至具有改变现实本身的可能性(冈本,2013)。
コンテンツツーリズムは、現実を拡張するものでなくてはならない。この点は、コンテンツ の権利などに関する規定の違いが大きく影響を与える。出口らは、コンテンツの権利やその他 の二次利用に関しては、「ハリウッド型」と「日本型」という 2 種類の権利の管理に関する形態を指摘している。ハリウッド型は権利の保有者(出版社や製作元など)がほぼすべての権利を管理しており、その指示のもとでグッズの製作やイベントなどが企画される。一方で日本型の特徴は、コンテンツの供給者と消費者やその関連する人々が双方向の関係のもとで、コンテンツ の魅力をさらに高めようとすることが可能であるという。これを出口らは共進化と超多様性型 と呼んでいるが、コンテンツがさまざまな人々のアイディアで次々に進化(あるいは深化)して いく可能性を秘めているのが日本型である(出口•田中•小山,2009)。当然ながら、 2 次創作な どに関しても日本型の方が創作活動には有利である。山村などで取り上げられている埼玉県久喜市(旧鷲宮町)の「らきむすた」の例は、最初期のイベントなどの企画者が商工会の人々で あったことを考えれば、これも日本型のコンテンツ管理であったからこそ、今でもこの作品を用いたイベントが行われ多くのファンと地域の人々をつないでいる理由といえよう(山村, 2008;岡本編,2015)。
内容旅游必须是对现实的扩展。这一点受到内容权利等相关规定差异的重大影响。出口等人指出,关于内容权利及其他二次利用,有“好莱坞型”和“日本型”两种权利管理形态。好莱坞型由权利持有者(出版社或制作方等)几乎管理所有权利,在其指示下策划商品制作和活动等。另一方面,日本型的特点是内容供应者与消费者及相关人员在双向关系基础上,能够进一步提升内容魅力。出口等人称之为共进化与超多样性型,日本型蕴含内容通过各种人的创意不断进化(或深化)的可能性(出口·田中·小山,2009)。当然,在二次创作等方面,日本型对创作活动更为有利。以山村等人提及的埼玉县久喜市(旧鹫宫町)的“らきむすた”为例,考虑到最初期活动策划者是商工会人员,这也正是因为采用了日本型内容管理,至今仍能举办以该作品为主题的活动,连接众多粉丝与当地居民(山村,2008;冈本编,2015)。
一方でハリウッド型のコンテンツ管理は、コンテンツの二次利用等を厳しく管理しているた め、ファンや地域の住民でコンテンツを利用し地域を盛り上げていくという町おこしには不向 きである。さらには、イベントそのものやグッズの製作なども権利保有者の許可がいるため、 スムーズな意思決定が行いにくい。しかし、行き過ぎた二次創作(作品の世界観を壊すような過激 な作品などの供給)を規制し、作品の魅力を保護していくことにはつながるという利点もある。
另一方面,好莱坞型内容管理对内容的二次利用等进行严格管理,因此不适合由粉丝和当地居民利用内容来振兴地方。此外,活动本身和商品制作等也需权利持有者许可,难以顺利做出决策。然而,过度的二次创作(如破坏作品世界观的激进作品等)受到规制,有助于保护作品魅力,这也是其优点之一。
この 2 つの権利関係の保護に関する大きな違いは、現実をそのまま虚構世界(アニメなど)に持ち込むか、虚構世界の文化を現実世界に拡張させることができるかという大きな違いがある。 この「拡張」が可能であるのは、日本型のコンテンツ管理の方である。現実をアニメなどが拡張することなど、多くの人々は馬鹿げていると思うかもしれない。しかし、現実社会を見れば さまざまなところにゲームやマンガ、アニメなどのコンテンツが利用されている。例えば、ア ニメのキャラクターの立て看板(一緒に写真などが撮れる)などは街に出ればしばしば見かける。 しかし、これだけでは現実を拡張したとはいえず、どちらかといえば単にキャラクターを消費 しているということになる。これでは、東が主張しているデータベース消費の範疇を超えるこ
这两种权利关系保护上的重大差异,在于是否能够将现实直接带入虚构世界(如动画),或是将虚构世界的文化扩展到现实世界。这种“扩展”是日本式内容管理所能实现的。许多人可能会觉得现实被动画等扩展是荒谬的,但观察现实社会会发现,游戏、漫画、动画等内容被广泛利用。例如,在街头常见的动画角色立板(可以和角色一起拍照)等。然而,仅此并不能称为对现实的扩展,反而更像是单纯地消费角色。这种情况无法超越东所主张的数据库消费范畴,
とができず、金武が議論している瞬間最大風速セールスと同じ結末を迎える可能性が高い(東, 2001;金武•阪本,2005)。牧は、この物質的消費を是認するコンテンツツーリズムを批判的に捉えている(牧,2013,2015,2018)。
很可能会迎来金武所讨论的瞬间最大风速销售的同样结局(东,2001;金武·阪本,2005)。牧批判性地看待这种认可物质消费的内容旅游(牧,2013,2015,2018)。
筆者も岡本編(2015)の学術書に執筆をしているが、他の分担執筆者と異なる点としてコンテ ンッツーリズムの成功の意義を明確にしていることが挙げられる。意外に思われるかもしれな いが、多くのコンテンツツーリズム研究者がコンテンツツーリズムの成否についての議論を行っていないのである。しかし、コンテンツツーリズム研究者の共通認識として経済波及効果 を狙った「聖地巡礼のパターン化とその応用」を検討するというのは、本質的な議論ではなく検討が不十分であるということは多くの研究者に浸透しているように思われる。筆者は、岡本 の主張と同様にゲストとホストの二項対立が解消することで生じる価値観の洗練、あるいは多様な価値観を理解することによる心の豊かさを得ることこそが、コンテンツツーリズムの成功 であると考えている(岡本, 2013 ;牧,2015)。
笔者也在冈本编(2015)的学术书中有撰稿,与其他分担作者不同的是,明确指出了内容旅游成功的意义。或许令人意外的是,许多内容旅游研究者并未对内容旅游的成败进行讨论。然而,作为内容旅游研究者的共识,旨在经济波及效应的“圣地巡礼模式化及其应用”的探讨,并非本质性讨论,且探讨不足,这一点似乎已被许多研究者所认同。笔者与冈本的主张相同,认为内容旅游的成功在于消除客人与主人的二元对立,从而实现价值观的洗练,或通过理解多样的价值观获得心灵的丰富(冈本,2013;牧,2015)。
さらに付け加えるならば、そのような多様な価値観を理解しようとすることが双方向(ゲス トとホスト)の中で生まれることで、当該地域のコミュニテイの再連結および強化や地域固有の文化の再認識、その流れの中で社会が変容し関係性が強化される。このような結びつきの断絶 が多く見られる現代社会において、コンテンツツーリズムはアニメやマンガなどのコンテンツ を媒介にして、われわれが持つ日常性を再検討し、その日常性そのものを強化する働きをもた らすのである。ここでいう日常性とは、われわれが生きる現実世界における理想の状態である。現実世界と日常をリアルに反映したようなアニメ(日常系アニメと呼ばれる)などにおいて描かれ る虚構の世界との対比も、コンテンツツーリズムの楽しみ方のひとつであることはすでに述べ たとおりである。しかし、実際に聖地に足を運ぶことで初めて見えてくる、あるいは理解でき ることも多いことはいうまでもない。さらに、虚構が現実になることも近年では少なからずみ られるようになってきた。現実の祭事などがアニメの世界に描かれることは多いが、アニメの世界の祭事が現実で行わることもあるのである ( 7 ) ( 7 ) ^((7)){ }^{(7)} 。アニメで登場した祭事が現実でも行われる となれば、多くのファンが聖地巡礼を行うインセンティブになりうる。この点では、コンテン ツッーリズムは現実を拡張するきっかけとしても機能する可能性を秘めている。
此外,如果再补充一点的话,正是通过在双向(客人与主办方)互动中产生的对多样价值观的理解,促使相关地区社区的重新连接与强化,以及对该地区特有文化的再认识,在这一过程中社会发生变革,关系得以加强。在现代社会中,这种联系的断裂现象屡见不鲜,而内容旅游则通过以动画、漫画等内容为媒介,促使我们重新审视自身的日常性,并带来强化这一日常性的作用。这里所说的日常性,是指我们所生活的现实世界中的理想状态。正如前文所述,内容旅游的乐趣之一,便是通过与那些真实反映现实世界与日常的动画(被称为日常系动画)中所描绘的虚构世界形成对比。然而,不言而喻,只有亲自踏足圣地,才能看到或理解许多事物。此外,近年来虚构成为现实的现象也不在少数。现实中的祭典等常被描绘进动画世界,而动画世界中的祭典也有在现实中举行的情况 ( 7 ) ( 7 ) ^((7)){ }^{(7)} 。如果动画中出现的祭典在现实中得以举办,那么这将成为众多粉丝进行圣地巡礼的激励因素。从这一点来看,内容旅游也蕴含着作为扩展现实契机的潜力。
しかし、すでにまとめたように聖地巡礼者にも多くの行動様式がある。それらの多様な行動様式をとる人々(聖地巡礼者)全員が、コンテンツツーリズムを通じて社会や文化を変容させる可能性を持っているわけではない。この可能性を秘めているのは、実際に聖地へと足を運びア ニメで描かれた世界を探索し、各々の目的を達成しようとする旅行者が前提である。しかし、各々の目的がアニメにおける背景等の描写と現実との比較をするための写真撮影のみというの であれば、聖地巡礼から現実社会と自己の日常性を見直し、現実そのものや自己の価値観を洗練あるいは強化することで生じる「日常性の再強化」は生じ得ない。
然而,正如前文所总结的,圣地巡礼者的行为模式多种多样。并非所有采取这些多样行为模式的人(圣地巡礼者)都具备通过内容旅游改变社会与文化的可能性。具备这一可能性的前提是,旅行者实际踏足圣地,探索动画中描绘的世界,并试图实现各自的目的。然而,如果各自的目的仅仅是为了拍摄照片以比较动画中的背景描写与现实,那么就无法从圣地巡礼中产生“日常性的再强化”——即重新审视现实社会与自身的日常性,并通过洗炼或强化现实本身及自身的价值观而产生的效果。
筆者が主張する日常性の再強化という概念は、ブルーナーのいう意味の構築(あるいは意味を語る)という行為に類似している(ブルーナー,2016) ( 8 ) ( 8 ) ^((8)){ }^{(8)} 。われわれはそれぞれの日常性を構築し
笔者所主张的“日常性的再强化”这一概念,与布鲁纳所说的意义建构(或讲述意义)的行为相似(布鲁纳,2016) ( 8 ) ( 8 ) ^((8)){ }^{(8)} 。我们各自构建着自己的日常性,
日々の生活を送っている。岡本の「 n 次創作観光論」でも現在社会での重要な問題を議論に入 れていた。それは、現代社会における人々とのつながりの消失である。岡本は、聖地巡礼の大 きな心理的要因は大きな物語の機能不全であると指摘する(岡本,2013)。大きな物語は大塚が議論している物語消費論の中核的な部分である(大塚,2004)。大きな物語は牧(2013,2014)でも指摘しているように、不特定多数の人々の価値観を反映した要素であった。これは、世間一般 の価値観をコンテンツの中に取り入れているといってよい。しかし、われわれの価値観の多様化や社会のグローバル化に伴い、さまざまな文化や価値観と日常的に接するようになった。こ の社会や時代の流れの中で、大きな物語の代わりに小さな物語が台頭してきたのである。
每天都在过着日常生活。冈本在其“二次创作旅游论”中也将当代社会的重要问题纳入讨论。其中一个问题是现代社会中人与人之间联系的消失。冈本指出,圣地巡礼的一个重要心理因素是“大叙事”的功能失调(冈本,2013)。大叙事是大塚在其叙事消费论中讨论的核心部分(大塚,2004)。正如牧(2013,2014)所指出的,大叙事反映了不特定多数人的价值观。这可以说是将社会普遍的价值观融入内容之中。然而,随着我们价值观的多样化和社会的全球化,我们开始日常接触各种文化和价值观。在这样的社会和时代潮流中,小叙事取代了大叙事,逐渐兴起。
この小さな物語とは、われわれのこだわりや価値観を基礎に成立するものである。これは、 いわば「個人が紡ぐ物語」であり、文化を構成する基礎となるものである。これは、牧(2014) でも指摘した部分である。このような視点に立つと、われわれは文化を次のような概念として捉えることができる。文化とは、「個人の価値観を何らかの媒介を通じて表現したものから始 まり、他者からその価値観を共感あるいは共有されることで多様化•発展する概念である」と いうものである。この概念自体は、岡本などもすでに指摘しているものであり、筆者独自の概念ではない。岡本はこの視点から、コンテンツ消費におけるこだわりの違いとその共感などか ら文化内にはさまざまな集団が形成され、それらの集団間では排他的な関係性が構築されてい ると主張している(岡本,2013)。
所谓的小叙事,是基于我们的执着和价值观而成立的。可以说,它是“个人编织的故事”,是构成文化的基础。这也是牧(2014)所指出的部分。从这样的视角来看,我们可以将文化理解为以下概念:文化是“从个人通过某种媒介表达的价值观开始,通过他人的共鸣或共享,使其多样化和发展”的概念。这个概念本身并非笔者独创,冈本等人也已指出。冈本从这一视角出发,主张在内容消费中,由于执着的差异及其共鸣,文化内部形成了各种群体,而这些群体之间构建了排他性的关系(冈本,2013)。
しかし、厳密にいえば集団内で共有される「小さな物語(文化)」そのものも、個人間で全く同様のものであるということではない。そこには微妙な違いが存在しているはずである。この価値観を共有する集団とそこでの文化の形成は、集団に属する人々の価値観をより強固なもの にする働きを持っている。そうであるから、他の集団の価値観(文化)に対して排他的になるの である。
但严格来说,在群体内部共享的“小叙事(文化)”本身,也并非在个体间完全相同。其间必然存在细微的差异。共享这些价值观的群体及其文化的形成,起到了强化群体成员价值观的作用。正因为如此,才会对其他群体的价值观(文化)持排他态度。
この小さな物語がわれわれに対して重要な意味を持つのは、コンテンツツーリズムを通じて、不完全な社会や現代社会における問題をアニメなどのコンテンツを通じて検討をすることであ る。この検討とは、コンテンツ内で描かれるフィクションから現代社会で生じる多様な問題の解決策を考えるというものではない。すでに筆者は、個人ごとには各々の価値観に基づく文化 が存在していると述べた。その文化は、その個人の生き方や考え方に少なからず影響を与える。 そして、さまざまな経験を通じてその「文化」が変容していくのである。その経験の中にコン テンツツーリズムも当てはまる。コンテンツツーリズムが生じるコンテンツでは、何気ない日常が舞台になっていることが多い。もちろん、中には日常性に加えて非日常的な要素が設定に加えられているコンテンツもあるが、これは大きな問題とはならない。コンテンツ消費者が自己の「文化」に対して修正や洗練させることができれば良いからである。
这段小故事对我们具有重要意义,是因为通过内容旅游,我们可以通过动画等内容来探讨不完善的社会以及现代社会中存在的问题。这种探讨并不是指从内容中描绘的虚构故事中寻找解决现代社会各种问题的方法。笔者已经指出,每个人都有基于各自价值观的文化存在。这种文化在一定程度上影响着个人的生活方式和思考方式。并且,通过各种经历,这种“文化”会发生变化。内容旅游也属于这些经历之一。在引发内容旅游的内容中,日常生活往往是舞台。当然,也有一些内容在日常性之外加入了非日常的元素,但这并不构成大问题。因为内容消费者能够对自身的“文化”进行修正和提升即可。
これまで、岡本などではコンテンツツーリズムの本質はゲストとホストという、「もてなさ れる・もてなす」という旅行行動(特に観光地)で構築される関係性をいかに超えることができ るかどうかであると指摘されてきた(岡本,2013)。コンテンツをきっかけとする旅行行動は、
迄今为止,冈本等人指出,内容旅游的本质在于如何超越作为“被款待者”和“款待者”的客人与主人的关系,这种关系是在旅行行为(尤其是旅游地)中构建的(冈本,2013)。以内容为契机的旅行行为,
一般的に観光地ではないところにファンが訪れたりすることがよくある。さらには、コンテン ツそのものの認知度が低いものもあるため、コンテンツツーリズムが行われる各地域ではその地域を挙げて旅行者を歓迎しようとするのは無理がある。岡本のいうゲストとホストの二項対立の解消は、ゲストとホストが同じ視点からコンテンツを眺める必要があるという。牧(2013) では、この点においてホスピタリティが重要な役割を担うと述べている。多様な価値観を理解 し、歓迎するためにホスピタリティは不可欠であるからである。この二項対立の解消によって ホストとゲストの関係性が曖昧になり、はじめて同じ視点からコンテンツを享受でき、コンテ ンツを通じてともに地域を盛り上げることが出来るのだと岡本は指摘する(岡本,2013)。
通常会出现粉丝访问非一般旅游地的情况。此外,由于有些内容本身的知名度较低,因此在进行内容旅游的各个地区,整个地区共同欢迎游客是不现实的。冈本所说的客人与主人二元对立的消解,意味着客人与主人需要从相同的视角来看待内容。牧(2013)指出,在这方面,款待(Hospitality)扮演着重要角色。因为理解并欢迎多样的价值观,款待是不可或缺的。冈本指出,正是通过消解这种二元对立,主人与客人的关系变得模糊,双方才能从相同的视角享受内容,并通过内容共同振兴地区(冈本,2013)。
しかし、筆者はさらにこの点から踏み込む必要があると考える。それは、アニメなどのコン テンツを通じその作品の中で描かれた文化を理解し、自己の文化を再構築するために作品の舞台へと足を運ぶことは大きな意味を持つ。実際に現実の風景を見れば、その場所でしか得られ ない情報も多数得られる可能性があるからである。牧(2013)では、コンテンツツーリズムの楽 しみ方の 1 つとしてキャラクターの心理などを追体験することであると述べた。これは、先の議論を踏まえれば虚構の世界におけるキャラクターを現実世界から考察するという、ブルー ナーらのいう意味を構築する行為である(ブルーナー,2016;中込,2017a,2017b,2018)。しかし、 アニメで描かれる世界を通じて自己の文化を修正や再構築するだけではなく、各聖地における現実社会やその地域の文化を実際に触れることが重要なのである。コンテンツツーリズムでは、 ゲストとホストという 2 つの文化が交錯する可能性がある。この 2 つの文化に対して意味もな く拒絶的な反応を示せば、お互いの「文化」を再構成できない。この点はすでに指摘したホス ピタリティが適切に機能すれば双方の文化の衝突を避けてくれるであろうが、問題はその先で ある。
但是,笔者认为还需要从这一点进一步深入。即通过动漫等内容理解作品中描绘的文化,并为了重构自身文化而亲自前往作品的舞台,这具有重大意义。因为实际看到现实中的风景,可能会获得只有在那个地方才能得到的许多信息。牧(2013)指出,内容旅游的一种乐趣是通过追体验角色的心理等。这基于前述讨论,是从现实世界考察虚构世界中角色的行为,是布鲁纳等人所说的意义构建行为(布鲁纳,2016;中込,2017a,2017b,2018)。然而,不仅仅是通过动漫描绘的世界来修正或重构自身文化,更重要的是实际接触各圣地的现实社会及其地域文化。在内容旅游中,客人与主办方这两种文化可能会交织。如果对这两种文化无意义地表现出排斥反应,就无法重构彼此的“文化”。这一点已经指出,如果款待(hospitality)适当发挥作用,双方文化的冲突或许可以避免,但问题在于那之后。
アニメで描かれることによって、旅行者の行動の基礎となった文化を地域側(舞台側)の人々 が理解をしようとしてコンテンツの内容を調ベ、自らもそのコンテンツを楽しもうとするのは一見すると双方向の関係性であると思われるかもしれないが、よく観察してみればそれは一方向的な関係であることに気が付くかもしれない。つまり、コンテンツをきっかけとしてその聖地に訪れた旅行者の価値観や考え方という「文化」をその地域の人々が触れているにすぎない からである。それではどのようにすれば文化を双方向で理解し、日常性といういわばそれぞれ の人々が形成する「文化」の再構築や強化につながるのだろうか。これには、虚構の文化と現実の文化、そして自己が有する文化という 3 つの文化がリンクしなくてはならない。中込らは、他者との共同作業によって自己の身体を拡張し、他者の身体を自己に取り入れる自己拡大につ いて議論をしているが、筆者の主張はこの自己拡大のその先のステップである(中込•小田切•牧,2016)。
通过动漫描绘,旅行者行为的基础文化被地域方(舞台方)的人们试图理解并调查内容,自己也试图享受该内容,乍看之下似乎是双向关系,但仔细观察可能会发现这其实是单向关系。也就是说,地域的人们只是接触了以内容为契机访问该圣地的旅行者的价值观和思考方式这一“文化”。那么,如何才能实现文化的双向理解,进而促进所谓日常性,即各自形成的“文化”的重构和强化呢?这需要虚构文化、现实文化以及自身拥有的文化这三种文化相互关联。中込等人讨论了通过与他人的协作扩展自身身体,将他人身体纳入自身的自我扩展,笔者的主张则是这一自我扩展之后的步骤(中込·小田切·牧,2016)。
もしも、聖地巡礼者がコンテンツツーリズムを行ってコンテンツの舞台巡りを行うだけで旅行行動を終えてしまうのであれば、その旅行行動によって得られた情報は自己の文化を修正し、 あるいは洗練するのみで自己完結してしまう。もちろん、この行動だけでも岡本のいう n 次創
如果圣地巡礼者仅仅进行内容旅游,走访内容的舞台就结束了旅行行为,那么通过该旅行行为获得的信息仅会修正或洗练自身文化,最终自我完结。当然,仅凭这一行为也能实现冈本所说的 n 次创作。
作観光そのものは生じ得るが、不十分な効果しか得られないかもしれない。岡本のn 次創作観光論はその自己の文化を何かしらの形で他者に発信することで、その情報が他者の旅行行動に影響を与え、その他者も旅行行動を行い情報を発信するという数珠つなぎの行動が現実に表れ ることで、現実や社会そのものを変化させていていくというものである(岡本,2013)。もちろ ん、聖地巡礼者の心理を地域側の人々が理解しようとすることで、その地域の雰囲気が良くな るということは大いに歓迎すべきである。しかし、真の意味での他者理解とは聖地巡礼者自身 もコンテンツにおける文化を現実との比較をするのみに留まらず、現実の文化に対しても理解 をすることではないか。
作为观光本身是可能产生的,但可能只能获得不充分的效果。冈本的 n 次创作观光论认为,通过以某种形式向他人传播自身的文化,这些信息会影响他人的旅行行为,进而其他人也会进行旅行行为并传播信息,这种连锁反应的行为在现实中显现出来,从而改变现实和社会本身(冈本,2013)。当然,地区居民试图理解圣地巡礼者的心理,从而改善该地区的氛围,这是非常值得欢迎的。然而,真正意义上的他者理解,不仅是圣地巡礼者自身仅仅将内容中的文化与现实进行比较,更应当是对现实文化本身的理解。
この現実の文化を理解するためには、その地域の人々とコミュニケーションを取る必要があ る。その地域固有の文化や考え方は、その地域の人々の方が詳しいからである。現在のコンテ ンツツーリズムは、旅行者の多様な価値観を尊重し、なるべく自由に聖地を探訪できるように工夫しているところが多いが、地域文化の発信という仕組みも組み込むことでコンテンツツー リズムをさらに深めることができる。コンテンツツーリズムの社会的意味は、現代において希薄となった人間関係が偶然的な出会いによってもたらされ、他者理解の起点となることである。 たとえば、アニメで描かれた聖地へ実際に足を運んで特定することを目的とするだけではなく、「どうしてあのシーンではこの場所が使われたのか」、「あのキャラクターのセリフはその地域 ではどのように使われているのか」などの「深い意味」を考察することで、聖地巡礼者はそこ にも自己の文化を洗練させるチャンスを得る。
为了理解这种现实文化,有必要与该地区的人们进行交流。因为该地区特有的文化和思维方式,当地人更为熟悉。目前的内容旅游多尊重旅行者的多样价值观,努力使其能够尽可能自由地探访圣地,但如果将地区文化的传播机制也纳入其中,内容旅游可以进一步深化。内容旅游的社会意义在于,现代社会中日益稀薄的人际关系通过偶然的相遇得以建立,成为他者理解的起点。例如,不仅仅是为了实际前往动画中描绘的圣地并确认其位置,而是通过思考“为什么那个场景使用了这个地方”、“那个角色的台词在该地区是如何使用的”等“深层含义”,圣地巡礼者也获得了提升自身文化的机会。
しかし、この深い意味を知るためには現地の人々や観光協会に話を聞いたり、歴史民俗資料館や博物館などに行く必要がある。この主体的な行動は、他者にその聖地で得た情報を「語り たい」と思うには十分である。ここで重要になるのは、聖地の情報を旅行者が知りたいと思っ たときに地域側の人々が自身の地域の文化やそれにまつわる情報を理解していなくてはならな いことである。他者に自分自身が生活する地域の文化を他者に「語る」ことができなければ、聖地巡礼者は現地の人々から追加的な情報を得ることができないばかりではなく、その無関心 さに落胆するかもしれない。ブルーナーのいう文化を形成する際に人々は「意味を語る」とい う重要な指摘は、コンテンツツーリズムにおいてはある共通のテーマ(ここではコンテンツの舞台となった地域)があり、それを聖地巡礼者と地域の人々という 2 つの視点から「語る」という行為であると捉えることが可能である(ブルーナー,2016)。
然而,要了解这些深层含义,需要与当地人或旅游协会交谈,或前往历史民俗资料馆、博物馆等地。这种主体性的行为足以让人产生“想要讲述”在圣地获得的信息的愿望。这里重要的是,当旅行者想要了解圣地信息时,地区居民必须理解自身地区的文化及相关信息。如果无法向他人“讲述”自己生活地区的文化,圣地巡礼者不仅无法从当地人那里获得额外信息,甚至可能因其冷漠而感到失望。布鲁纳所指出的文化形成过程中人们“讲述意义”的重要观点,在内容旅游中可以理解为存在一个共同主题(这里指内容所设定的地区),并通过圣地巡礼者与地区居民这两个视角进行“讲述”的行为(布鲁纳,2016)。
ここでは、コンテンツの舞台が特に意味があって選ばれたということでなくても、ロケ地が たまたま使われただけであっても問題はない。聖地巡礼者が考えた「意味」が地域の人々に伝 わり、その地域の人々もコンテンツツーリズムから意味を構築し、この人々たちが出会えば良 いのである。それぞれの「文化」と地域の文化が交わることで、コンテンツツーリズムには大 きなダイナミズムが生じる。その変動の中で、われわれがそれぞれ持っている「文化」は他者 とのつながりのきっかけとなり、他者の「文化」に触れることでその価値観を多様なものにす る。現代社会において人々とのつながりは希薄化しているが、コンテンツツーリズムにおいて
这里,即使内容的舞台并非特别有意义地被选中,或者拍摄地只是偶然被使用,也没有问题。圣地巡礼者所赋予的“意义”传达给了当地居民,当地居民也从内容旅游中构建意义,这些人们相遇即可。各自的“文化”与地域文化交汇,内容旅游便产生了巨大的活力。在这种变动中,我们各自拥有的“文化”成为与他人连接的契机,通过接触他人的“文化”,使我们的价值观更加多样化。现代社会中人与人之间的联系日益稀薄,但在内容旅游中
先の研究例から指摘される他者との関係性は、薄いようで非常に濃いものである。
从前述研究案例指出的与他人的关系,看似薄弱,实则非常深厚。

アニメなどのコンテンツから自己の「文化」を形成し、コンテンツツーリズムを通じて実際 の文化に触れる、あるいは他者の「文化」に触れることでわれわれは自己の「文化」見直した り、さらにその見方を強めたりする。そして、現実社会と虚構を比較することで「コンテン ツ」が何を伝えようとしているのかという「意味」を見出す。この「意味」を探ることは、わ れわれが生きる日常を生き抜くヒントになり、この日常を生きる上でのわれわれが拠り所にし ている「文化」へと深化する。コンテンツツーリズムにおいては、コンテンツと日常(現実)と いう関係を通じて、聖地巡礼者はそれぞれの「文化」を洗練•強化するきっかけになる。この
通过动漫等内容形成自我的“文化”,并通过内容旅游接触实际文化,或者接触他人的“文化”,我们重新审视自我的“文化”,甚至强化这种视角。并且,通过比较现实社会与虚构,我们发现“内容”试图传达的“意义”。探寻这一“意义”成为我们在日常生活中生存的线索,并深化为我们赖以生存的“文化”。在内容旅游中,通过内容与日常(现实)的关系,圣地巡礼者得以洗练和强化各自的“文化”。这一
「文化」の変容という流れは、他者(地域の人々や他の聖地巡礼者)の「文化」にも影響を与える可能性がある。この結果、さまざまな人々がコンテンツを通じて出会い、そこにホスピタリ ティがあれば排他的な行動は生じない。そうすることで、コンテンツツーリズムはわれわれが生きる日常において重要なことをコンテンツから学ぶことになる。その結論こそが、「日常性」の再強化なのである。
“文化”的变迁过程,也可能影响他人(当地居民及其他圣地巡礼者)的“文化”。结果是,各种人通过内容相遇,只要存在款待之心,就不会产生排他行为。如此一来,内容旅游使我们从内容中学习到在日常生活中重要的事物。其结论正是“日常性”的再强化。
小さな物語をきっかけにコンテンツツーリズムが生じ、そこから現代社会における人間関係 における多様な価値観を理解することで、最適な他者との関係性という大きな物語が機能を取 り戻す。そして日常性という理想は、現実の社会においてもその意味を拡張し実現しうるであ ろう。
以小故事为契机产生内容旅游,通过理解现代社会中人际关系的多样价值观,大叙事“与他人建立最佳关系”重新发挥作用。而日常性的理想,也将在现实社会中扩展其意义并得以实现。

4 おわりに  4 结语

岡本らは、コンテンツツーリズムを神社に関連付けてまとめている研究も行っている(岡本編, 2014)。岡本らは、アニメやマンガで神社が舞台に用いられることが多いことに着目したので ある。彼らの結論は、神社という空間における平等性に重要な意味があるということである。 コンテンツにおいて神社が良く登場するのは、さまざまな障壁がない理想の空間として描きた いからだという(岡本編,2014)。これは、神社が登場するすべてのコンテンツにおいて当ては まるとはいえないが、重要な指摘であると思われる。現代社会において多く制作されているア ニメが「現代社会を映す鏡」であるなら、その中で設定としてよく用いられる神社という舞台 は、現実の社会における基礎的な概念である人間はどのような価値観(ただし、他者を傷つける ような極端な価値観はだめであるが)を持っていようが、どのような人生を歩んでいようが、すべ ての人間は平等であるという点に気付かせてくれる。
冈本等人也进行了将内容旅游与神社相关联的研究(冈本编,2014)。他们关注到动画和漫画中神社常被用作舞台。他们的结论是,神社空间中的平等性具有重要意义。内容中神社频繁出现,是因为想描绘一个没有各种障碍的理想空间(冈本编,2014)。这虽不能适用于所有出现神社的内容,但仍是重要的指摘。如果说现代社会中大量制作的动画是“映照现代社会的镜子”,那么作为常用设定的神社舞台,则让人意识到无论人们持有什么样的价值观(当然极端伤害他人的价值观除外)、无论走怎样的人生道路,所有人都是平等的,这是一种现实社会中的基础概念。
本稿でも指摘した日常性という文化の再強化にも、誰しもが平等で対等な立場であるという前提があることはいうまでもない。この点もコンテンツツーリズムが現代社会における重要な示唆をわれわれに示しているのであれば、コンテンツツーリズムが指摘する学術的および社会的含意は多岐に渡る。さまざまなコンテンツが供給され消費される現代であるからこそ、その中で特徴的な現象や興味深いファンの行動が見られたコンテンツは今後も注目をしていかなく
本文所指出的日常性文化的再强化,理所当然地以人人平等、对等的立场为前提。如果说内容旅游向我们展示了现代社会中的重要启示,那么内容旅游所指示的学术及社会含义是多方面的。正因为是内容多样供应与消费的现代,今后也将持续关注其中出现的具有特色的现象和有趣的粉丝行为。
てはならない。  不允许。
本稿はコンテンツツーリズムを研究する理論的な枠組みや関連分野を参考にしながら議論を展開した。そのため、本稿において述べた理論の実証については今後の課題としたい。本稿で も参考にしたブルーナー(2016)は、従来の心理学における学術的方法を痛烈に批判しているが、彼の「人々が多様に意味を語り、 1 つの意味を創り出す」という指摘がコンテンツツーリズム研究、さらには経済学の理論研究にも革新的な議論となるであろう。
本文在参考内容旅游的理论框架及相关领域的基础上展开讨论。因此,本文所述理论的实证部分将作为今后的课题。本文也参考了布鲁纳(2016),他尖锐批判了传统心理学中的学术方法,他指出“人们多样地讲述意义,并创造出单一的意义”,这一观点对内容旅游研究,乃至经济学的理论研究都将带来革新的讨论。

【注】

(1)本稿では、特に言及がない場合のアニメは深夜アニメを指す。
(1)本文中,若无特别说明,所指的动画均为深夜动画。

(2)岡本編(2015)では、コンテンツツーリズムを法、行政、経済、社会学、心理学などの側面から考察 をしている。
(2)冈本编(2015)从法律、行政、经济、社会学、心理学等多个角度考察了内容旅游。

(3)注意されたいのは、筆者は増淵のアプローチがコンテンツツーリズム研究の本流ではないといって いるのではない。むしろ増淵もコンテンツツーリズム研究のパイオニアである。本稿では、さまざまな事例を取り上げコンテンツツーリズム研究の実践についての議論や、コンテンツツーリズム研究を他の文化的作品への応用を目的としたものではないため、増淵の研究方法論を採用しなかったのである。
(3)需要注意的是,笔者并不是说增淵的研究方法不是内容旅游研究的主流。相反,增淵也是内容旅游研究的先驱者。本文通过介绍各种案例,讨论内容旅游研究的实践,并且由于内容旅游研究并非旨在应用于其他文化作品,因此没有采用增淵的研究方法论。

(4)もちろん、アニメ以外にも映画などを誘致することによって町おこし効果が期待できるが、本稿で アニメに焦点を当てて検討を進めているため、その他の方法による聖地化の議論は別の機会にしたい。
(4)当然,除了动画之外,通过吸引电影等也可以期待带动地方振兴的效果,但由于本文聚焦于动画进行探讨,关于其他方式实现圣地化的讨论留待另时。

(5)本稿では工業製品的に生み出される作品に対して「製作」、創造性をもとに生み出される作品に対 して「制作」と表記している。この問題は「製作委員会」が製作と表記し、アニメ作品を製作(制作で はない)していることにも波及する。この問題の議論については、別の機会に譲ることとしたい。
(5)本文中,对于工业产品式生产的作品使用“制作”,对于基于创造性产生的作品使用“创作”。这一问题也波及到“制作委员会”使用“制作”一词来制作(而非创作)动画作品。关于这一问题的讨论,留待另时。

(6)松原編(2017)では、映画におけるフィルムコミッションの役割として監督などの撮りたい「画」の ロケ地を探し提案するだけでなく、道路使用許可の代行や取材に関わる日程の調整、現地でのエキスト ラの募集などその業務が多岐にわたることが指摘されている。アニメの場合ではエキストラなどは必要 ないため、ロケ地の提案および取材に関わる手続きなどがフィルムコミッションの主な仕事となる。
(6)松原编(2017)指出,电影中影像委员会的角色不仅是寻找并提议导演等想拍摄的“画面”拍摄地,还包括代办道路使用许可、协调采访相关日程、在当地招募群众演员等多方面工作。动画方面由于不需要群众演员,影像委员会的主要工作是提议拍摄地及办理采访相关手续。

(7)アニメ「花咲くいろは」(舞台は富山県南砺市)における「ぼんぼり祭」が有名である。
(7)动画《花开伊吕波》(舞台设定在富山县南砺市)中的“灯笼祭”非常有名。

(8)中込(2017a,2017b,2018)では、ブルーナーの意味の構築を意味の縮減という視点で議論を行って いる。これは、われわれは多様な価値観のもとでさまざまな活動を行っているが、その価値観があると き縮減され、その縮減された価値観のもとで文化が生成されるというものである。つまり、多様な価値観における共通項が縮減という形で集積し文化としての創造性を発揮する。しかし、その縮減し構築さ れた意味としての文化は再度多様性を発揮するという議論もしなくてはならない。意味を構築された文化は縮減され文化的な価値を見出すが、その集合知としての役割のみならず、文化としての一種のカテ ゴリーとしての役割を時間が経ることで担うのではないか。その文化とは意味が縮減された当時の絶対的な存在というものではなく、文化の生成に必要な基盤としての役割へと移行され、多くの人々の行動 および創造性の源泉になっていると考えられる。
(8)中込(2017a,2017b,2018)从意义缩减的视角讨论了布鲁纳的意义构建。这是指,我们在多样的价值观基础上进行各种活动,但这些价值观在某一时刻被缩减,在这种缩减后的价值观基础上文化得以生成。换言之,多样价值观中的共通点以缩减的形式积累,展现出作为文化的创造性。然而,也必须讨论作为缩减并构建的意义的文化会再次展现多样性。被构建意义的文化虽被缩减并发现文化价值,但它不仅作为集合智慧发挥作用,随着时间推移,还可能承担作为文化的一种类别的角色。这样的文化并非当时意义被缩减时的绝对存在,而是转变为文化生成所需基础的角色,成为众多人的行为及创造性的源泉。

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